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世界自然遺産登録20周年記念「現旧町長鼎談」(3/4) | 屋久島マルシェ

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世界自然遺産登録20周年記念「現旧町長鼎談」(3/4)

新旧町長鼎談第3回は、前回の「山岳信仰について」「初選挙のお話」「環境文化村構想ってなに?」に引き続き、知られざる世界遺産登録の舞台裏や住民の不安など、世界遺産に登録されるまでの経緯を語っていただいています。屋久島環境文化村構想が最初にあり、そこから「世界遺産登録」へと繋がっていくといういわば屋久島にとっての一大事の中で、第一線で関わっていた矢野勝已旧上屋久町町長と日高十七郎旧屋久町町長から、これからの屋久島町の舵を取る荒木耕治現屋久島町町長に向けて熱いエールが送られました。

第2回「現旧町長鼎談」はこちら

 

「世界遺産に登録されると山に入れなくなるのか?」

屋久島マルシェ(以下Y M):屋久島環境文化村構想というのは、昔から屋久島が営んできた「自然と人との共生」を、鹿児島県が新しい地域づくりとして取り組んだプロジェクトなのですね。当時の日本では珍しいプロジェクトだったのでは?

日高 そうだと思います。両町(屋久島町となる前の上屋久町と屋久町)が同時期に考えていた屋久島の進むべき道を、ひとつの大型構想として県が提案してくれたんです。

矢野 屋久島環境文化村構想懇談会というのがあったんだけど、その懇談会メンバーというのがすごい面々で。

日高 私も驚きました。懇談会の委員の座長を務められたのは下河辺淳先生。この先生は日本列島改造論の時の日本の国土開発関係をやった人です。その方が環境文化を語るんです。それもすごかった。哲学者の梅原猛先生とか、亡くなられましたが福井謙一先生(日本人初のノーベル化学賞受賞)とか、紅一点で兼高かおるさん(ジャーナリスト・日本旅行作家協会会長)。あのチーム編成というのは多分、小野寺浩さん(鹿児島大学学長補佐・元環境省自然環境局長)の思案です。

矢野 小野寺さんの力は大きいですね。屋久島がこうなれたのはあの人の力だと思っています。だから本当に感謝してるんです。

YM 遺産登録時、荒木町長は?

荒木 浪人です、浪人(笑)。私が議員になったのは登録の2年後ですから。

日高 あんたそれまで何しちょったと?

矢野 さてはアカジョ(スジアラ・ハタの一種)釣ってたな。

荒木 当時は釣りが忙しくて政治どころじゃなかった(笑)。遺産登録で思い出すのは、その年の12月になって上屋久町役場に垂れ幕がボーンと下がったんですよ。「世界自然遺産?なんだ?」っていう感じでした。一部の人たちしか、世界遺産を知らなかったんです。

日高 確かにそうだったかもしれません。

YM 登録されるまで短期間だったため、なかなか住民に伝わりにくかったんでしょうか。

矢野 そうですね。住民からは、世界遺産に登録されると「山に入れなくなるのか?」とか、「自然保護ばかりで、何もできないのではないか?」とか、様々な意見が出て、不安もあったんです。屋久島の場合1年半位で世界遺産に登録されたので、町報で伝えたり住民説明会を開いたりして説明したけれど、周知されるまでは時間がかかったと思います。

「でも、そのおかげであの2つの施設ができたんです」

YM 世界遺産登録時のことで、思い出深いものはありますか?

日高 やっぱり自分の脳裏から離れないものは、まず「屋久島環境文化村構想」があって、そこから「世界遺産」に登録されたということ。両町同じ案件で、同じ立場で関わったというのは誇りでもあります。

矢野 そうですね。あの時、十七郎さん(日高前町長)とはいつも一緒でしたね。

日高 両町とも同じ方向を見ていましたから。僕が一番思い出すのは小野寺さんから呼び出されて鹿児島に行った時のこと。県庁などのかしこまった部屋で話をするかと思ったら、古めかしい喫茶店に呼ばれて。そこでコーヒーを飲みながら、環境学習のための中核施設(今の屋久島環境文化村センターと屋久島環境文化研修センター)についてどうするかという話になった。屋久島環境文化村センターは、島自体のインフォメーション機能も兼ねているから宮之浦港の近くの旧上屋久町で。屋久島環境文化研修センターは宿泊施設も備えた学習施設の役割があるから屋久杉の里地域がある旧屋久町にと、あの時の矢野さんと私は以心伝心一発で決まったな。

矢野 それから、予算のこともね。2つの施設を造るって決まった時に、県の予算が足りないということでまた呼ばれたんですよ。1億円だったかな。両町5千万円ずつ出してくれと言うんです。

日高 そうそう。今、予算のことで空中戦をやってるって言われて。

矢野 いくら町長といっても5千万円「はい出します」ってそう簡単に言えないからね。でも小野寺さんが「明日までにその話をしないといけないから即決をしてくれ」と言うんです。困ったなどうしようかなと思いましたけど「わかりました。いいですよ」と答えたんです。

日高 そしたら10日もしないうちに「町が出すということを伝えたら、県の事業なのに町に予算出させるわけにはいかんということで、予算は県が出す事になりました」というんです。

矢野 あの人は頭の良い人でしたからね。そういう根回しをしておいて上にもっていった。県が予算をつけてくれないから「両町が5千万円ずつ負担をしてくれる。無理をしてでも出すということです」と。県は自分たちの事業費用を町に出させるわけにいかないからね。でもそのおかげであの2つの施設ができたんです。

「屋久島のルールが必要だと思っているんですよ」

YM 世界遺産に登録され、町長としてどんなお気持ちでしたか?

日高 僕はね、大げさかもしれないけど、世界自然遺産に登録されたということは「屋久島のルネッサンスだ」と議会で言ったんです。「つまり産業革命だ。プラスお互いの意識革命だ!そこから生まれる精神文化というものが、今、求められているんだ」と持論を議会にぶつけました。

矢野 私は「屋久島が自然を中心に良くなるな」と思ったんです。でもなんせ初めての事なので、さっき触れたけど住民が抱えているような不安は、僕にもありました。その事を、屋久島環境文化村懇談会委員メンバーのC・W・ニコルさん(作家)に話してみたんです。そうすると「自然は人が生活するために利用して、そして保護していくというのが自然環境なんです。だから自然遺産に登録されてもそんな心配はひとつもいりません。そのために環境文化村構想があるんじゃないですか」とおっしゃった。「そうやな」と思ってな。それなら安心だと思いました。語弊があるかもしれませんが、やっぱり島の自然というのは島にいる人たちのものじゃないでしょうか。住んでいる人たちが自然を上手く利活用していき、生活を高めていくということは大事なことだと思いますからね。そういう意味ではニコルさんの言葉に安心したし納得したんです。

日高 まさに「共生と循環」ですね。生命というのは繋いでいかなくてはいけない。地球上にある命の面倒を見ていくためのステージに屋久島はなろうということです。だから人間のひとりよがりではだめなんです。荒木町長には我々はエールを送っているんです。これからの屋久島をどう漕ぐかという船長ですから、そこは単刀直入な姿勢をくずさずに、その道標を見誤らないように頑張ってもらいたいです。

荒木 2人の先輩町長のことはいろんな意味で尊敬してます。平成5年の時には2人の船長だったから2人で話し合えたでしょ。今屋久島町にはいろいろな問題がありますけど私は1人ですからね。私が間違えばとんでもない方向に行くというのがあるんです。私は受け継いだものを1人で決めるという責任の重さをすごく感じている。

日高・矢野 (うなずく)

矢野 自然遺産というのはずっと続くわけですから。それを胸の中に入れて行政を進めることの苦労は分かっています。とにかく頑張って。私も気付いたことは言うようにしています。

荒木 大久保彦左衛門やな(笑)。こうやって受け継いだものを、未来に引き継ぐためにはやっぱり屋久島のルールが必要だと思っているんですよ。いろんな方たちと同じテーブルに着いて話し合おうじゃないかと思ってるんです。

日高 そうです。町長には焦らず時間をかけても良いから、矢野さんと僕の時代になしえなかった屋久島独特のルールを作ってほしい。そのために我々に小間使いしなさいと言われれば、いつでもそうします。

矢野 ええ。

日高 なんか町長を励ます会になったな(笑)

荒木・矢野 (大笑)

〈第4回へ続く〉

世界遺産は、先々を見据え将来をつくるために歩んでいた屋久島が掴んだものだったのですね。屋久島の船長たちが見ている先は、屋久島独特のルールを作り、これまで屋久島が営んできた「自然と人間との共生と循環」を未来に受けついでいくこと。さて、次はいよいよ最終章です。「屋久島らしいルールづくり」「これからの町政について」など未来の屋久島へ繋がっていくお話を熱く語って下さいました。次回は2月中旬の公開を予定しています。お楽しみに。

取材協力:屋久杉自然館

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