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世界自然遺産登録20周年記念「現旧町長鼎談」(2/4) | 屋久島マルシェ

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世界自然遺産登録20周年記念「現旧町長鼎談」(2/4)

前回は荒木耕治 屋久島町町長〈写真中央〉、日高十七郎〈写真左〉・矢野勝已〈写真右〉旧町長(世界遺産登録時の町長)の小さい頃のお話や、思い描いていた夢のお話などから、屋久島が紡いできた「人と自然の繋がり」を身近に感じることができました。今回は「山岳信仰」「初選挙の話」「環境文化村構想とは?」など、屋久島が世界への航海に向かうまでの布石となるお話を、「屋久島」という船の船長(町長)経験者に語っていただきました。

第1回「現旧町長鼎談」はこちら

 

「谷を渡るときには、ごめんなさいと言え」

屋久島マルシェ(以下Y M):屋久島の自然が守り継がれてきた背景には、「山岳信仰」というものが強く影響していると思うのですが、昔の屋久島の暮らしの中で、人々は「山岳信仰」をどのように捉えていたのですか?

日高 私の育った安房は、「山姫、山おじ伝説」というのがあるんですね。当時、猟師とか炭焼きという職業の人たちは、「山津波みたいな音がする」とか「夜襲われる」とかいって、それらは山おじのしわざだといっていました。また、ちょっと奥まったところに入る場合は、「まず辺りを見渡してから笑え、そうでないと山姫から血を吸われるぞ」などというのが安房付近の伝説だったんですよ。

矢野 谷を渡るときには「咳をする」とか、「ごめんなさいと言え」とか、「大きな声をかけて渡れ」とかね。

荒木 うん。そんな話を長老が子供たちにしよったよな。やっぱり怖いもんだから子供は山に入らなかった。だから奥山を敬う気持ちを、みんな当たり前に持っていたな。

日高 うん。あと岳参り(※第1回の解説参照)は昔、女人禁制でした。女性は里で炊き出しをしながら男性の帰りを待つ。そして男性はビャクシンの枝をお土産に持ってきて渡すんです。

矢野 山を信仰するという一行の中に、女性が一緒にというのはなかったんだろうね。

日高 もしかしたらそのベースには男尊女卑というのがあったのかもしれないですね。もののけ姫から叱られるかもしれんけど(笑)。一方で海の方は、船の名前は女、船の神さまは女の神様だという。だからそういうものでバランスをとっていたのかもしれない。

「いつかは自分の生まれた故郷のために捧げるんだ」

Y M そんな幼少時代を過ごし自然のなかで育まれた3人の感性は、のちに「町長」という職で存分に発揮されることになると思うのですが、町長になろうと思った動機などをお聞きしても良いですか?

日高 それは三者三様あるでしょう。まずは先輩から。

矢野 私は簡単ですよ。荒木町長のお父さんが私の前の町長でしたから、辞められるとき、後を継ぐ人を探していた。そのときに役場の総務課長をしていた私に白羽の矢が立ったんです。ある日呼ばれて「お前(選挙に)出れ」と言われたんです。簡単に言われてもそんな気も全然ない。「とても自信がありません」と言って帰ったんですが、続けて3日呼ばれた。3日目には「考えさせてください」と言わないとしょうがないもんね(笑)。2日したらまた呼ばれ「お前考えたか?」と言う。だんだんどうにもならんから、1回出ればあきらめてくれると思った。当時の上屋久町は、最初の1回目の選挙で当選した人はいなかったんですよ。ダメだと思って出馬したのに勝ってしまったんです。

全員 (大笑)

矢野 まあでもね、役人として行政を進めてきていたので、もちろん中身はわかっていたんですけどね。

Y M 面白いお話ですね。十七郎さんは?

日高 私の場合は、言ってみればピンチヒッターですよ。当時、議員だったんですが、先輩議員たちから「わー(君)は若かから、1度2度転んでも良か。(町長選)行け!」と言われてね。

全員 (大笑)

Y M なんだか矢野さんと似てますね。

日高 いやいや、矢野さんの場合は乞われて出たんでしょう。私は先輩方の生き残りをかけた「あて馬」として最初の町長選に出馬したんです(笑)。当時、僕に具体的な政策があるわけではなかった。しかし(議員として)議会にいて執行部とやり取りしてもどうもしっくり来ない。分かり合うというところに行けないことに、自問自答する日々だったんです。だけど、屋久島はかくあるべしという強い「想い」はあった。だから政策ではなく、この文言を1つ書いて出馬したんです。「屋久島の、天に夢 山に寿 海に幸 里に福 人に魂(こころ)あり」。さっき町長がおっしゃった「屋久島の原点」と同じことです。

Y M なるほど。そんないきさつがあったんですね。荒木町長は?

荒木 私は何もない。

全員 (大笑)

日高 僕に少しフォローさせてもらえば、例えば(町長選出馬という結論を下すまで)矢野さんや私の場合は回りくどかったかもしれません。しかし、荒木町長という人は単刀直入。「おいも1回町長をすっとじゃ」というように、極めて分かりやすいのよ。回りくどさがないと僕は感じます(笑)。本人はどう言うかな?

荒木 (笑)私はね、小学校の真ん中ぐらいまでは本当に真面目だったんですよ。ところがある日突然どうも違うような気がして、そこからやんちゃな道を歩き出した。

全員 (大笑)

荒木  でもね、私が高校2年の12月に親父が選挙に出た。クリスマス選挙でね。その頃、選挙のことなんかよく分からなかったんですけど、とにかく家には人がいっぱい来てました。しかし、親父は負けたんです。皮肉にも、私の家から100メートル先は相手候補の選挙事務所で、向こうは「万歳!」をしている。反対に家は人がバッといなくなった。それを見た時、「町長選とはこういうものか。親父が目指してなれんなら、俺がなってやろう」単純にそう思った、それが最初です。

矢野 荒木町長はその頃からずっと町長になると考えていたんです。だからやっぱり芯が強いんです。小さいときからね。

荒木 高校2年のときに2つの大きな決心をしたんです。町長になろうということと、今のかみさんと一緒になろうということ。議員になってからはこれで終わらないと最初から思っていました。「弱きを助け、強きをくじく」、政治はやっぱり弱者のためにあるべきだと。だからいつかは自分の生まれた故郷のために捧げるんだと思っていました。

「環境文化村構想は終わりなきプロジェクトです」

Y M 話はいよいよ核心部へ入っていきますが、屋久島を語る上で大切な事のひとつに、「屋久島環境文化村構想」というのがありますよね。そこからの世界遺産登録と聞いていますが、そのあたりのことを知らない方も多いと思いますので、経緯なども含め教えていただけますか?

荒木 そのお話は、おふたりから話していただくのがいいでしょう。

矢野  まず、環境文化村構想が鹿児島県から発表される前のことですが、昭和の時代も終わって新しい時代になったんだから何かやろうと。屋久島側もそれなりの努力はしていたんです。

日高 上屋久町は「林地活用計画」でしょ。屋久町は「屋久杉の里整備事業」ということで、目指す方向は両町とも大体一緒だったんです。

矢野  つまり環境文化村構想をひと言でいうと、「屋久島にはこんなに大きな自然があるし、それと共に生きてきた人々の文化がある。だからその自然を活用して、住民も一緒に発展していこうじゃないか」という両町の話し合いから生まれた計画ですね。

日高 そこに(鹿児島)県が、この2つの計画を「屋久島環境文化村構想」というネーミングで、屋久島の進むべき道をひとつの大型構想として提案してくれたんです。もう鳥肌が立ちましたよ。私がずっと感じていた屋久島への想いと合致したわけですから。そこから世界遺産登録に行くわけです。

矢野 僕は世界自然遺産というのは思ってもみなかったことですよ。

日高 そのとき日本は世界遺産条約というものの批准もしていなかったしね。しかし世界遺産に登録されるべくその素地は屋久島の長い歴史の中にあったんですよね。

矢野 そうですね。もともと屋久島にはあったんですよね。それにみんな気づかなかった。

日高 そのときに旧上屋久町の責任者が矢野さんでなかったら、いろいろ綱引きがあったでしょうね。私と矢野さんの間にはまったく綱引きはなかったな。

荒木 わかります。2人とも紳士的な話をする人で、かっこうも考え方も大体似たような人たちです。十七郎さんが言ったように、矢野さんの代わりに私がそこにいてごらん。まとまる話もまとまらなくなるよ。

全員 (大笑)

荒木 だから、そういうものなんだ。事が成就する時には、それに適した人がそこにいるんだよ。なるべくしてなるんです。自然のままにさ。屋久島はそういう島なんです。

矢野 しかし環境文化村構想というのは、屋久島のすべてを含めたものだね。大事にしていくべきことです。未来永劫、この事業を進めてもらいたいなと思う。これは皆、一緒だと思いますが。

荒木 (うなずく)

日高 ええ、もちろんそうです。「環境文化村構想」は終わりなきプロジェクトです。教育を語り、文化を語り、自然を語り、産業を語るものですから。

Y M 屋久島の進むべき道を示した「屋久島環境文化村構想」が、後に世界自然遺産への登録となっていくのですね。

※環境文化村構想とは… 県総合基本計画の戦略プロジェクトのひとつとして平成4 年に策定された構想。屋久島の豊かな自然とその自然の中で作り上げられてきた自然と人間のかかわり(環境文化)を手がかりとして,「屋久島の自然のあり方」や,「地域の生活」,「生産活動を学ぶ環境学」を通じて,自然と人間の共生を実現しようとする新しい地域づくりの試みです。

 

〈第3回へ続く〉

次の第3回では、いよいよ屋久島の世界に向けての航海の始まりについて語っていただいています。そうそうたる顔ぶれが屋久島を語る「屋久島環境文化村構想懇談会メンバーの話」、「世界遺産と住民の不安」「世界遺産登録時の舞台裏」など、知られざる秘話が明かされます。次回は1月下旬の公開を予定しています。お楽しみに。

取材協力:屋久杉自然館

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