屋久島早わかりガイド
屋久島に興味をお持ちの方や屋久島へ旅行を計画されている方のために、観光の楽しみ方のみならず、屋久島の風土や歴史・文化などについても簡単にまとめてあります。屋久島を知るために、屋久島の旅をより深く楽しく味わうために、是非お役立てください。
観光
山を楽しむ
屋久島にはさまざまなトレッキングコースがあります。それらのコースを安全に楽しむためには、まず、自分の体力にあったコースを選ぶこと。次に、コースや天候を配慮した装備を万全にすることです。
トレッキングの経験がない、または初めてのトレッキングで不安な方は、ツアーに参加するかガイドを雇って行動することをお勧めします。豊かな経験と知識を持つガイドと一緒に歩くことにより、屋久島の自然体験がいっそう深いものとなるでしょう。
人気のあるコースは次のとおりです。
- ヤクスギランド(初級者向き)
屋久島自然休養林にある自然散策コース 30分~150分の間で4コースのコース設定があります。 - 白谷雲水峡(初級~中級者向き)
屋久杉と苔が作りだす幻想的な森。宮崎駿監督の映画「もののけ姫」のモチーフになったともいわれます。
所要時間(30分~150分、選択コースによる) - 縄文杉往復(中級者向きのハードコース)
往復で9~10時間、標高差700mのトレッキングコース。登山装備、行動食もしっかり準備し万全な体調でのぞみたいコースです。 - 宮之浦岳 小屋泊縦走(中級~上級者向きコース)
基本的な登山の知識や十分な経験が必要。小屋泊縦走の場合、山小屋には調理器具や寝具はありませんので、寝具を含む万全な装備が必要です。
尚、縄文杉、宮之浦岳に入山する場合、登山届が必要です。登山届は空港や港、観光案内所等で無料配布されています。
川を楽しむ
川での代表的なアクティビティーは、リバーカヤックとスタンドアップパドルボード(SUP)。
宮之浦川、安房川、栗生川などで楽しめます。下流付近は流れもおだやかで、登山やトレッキングに比べると比較的体力もいらず幅広い年齢の方に楽しんでいただけます。但し、普段はおだやかな川も雨量次第で流れが変わることもあります。水難事故を防ぐためにもカヤック未経験者や不慣れな方は必ずガイドを雇うようにしましょう。
海を楽しむ
- 海水浴
一湊海水浴場、春田浜海水浴場、栗生海水浴場の3か所は夏期期間中シャワー、更衣室もあり気軽に海水浴を楽しむことができます。 - スキューバダイビング・スノーケリング
屋久島の周囲の海は熱帯と温帯の海流が入りまじり多種多様な生物を観察することができます。ダイビング経験者も未経験者も屋久島の海中散歩の虜になるかもしれません。 - シーカヤック
川とは異なり、屋久島の変化に富んだ海岸景色が見られることが醍醐味。遊泳しているウミガメにも遭遇することもあります。 - 観察
ウミガメ産卵・孵化の観察会も人気。永田のいなか浜は日本一のアカウミガメの産卵エリア。観察会は5月から7月に予約制で開催されています。ウミガメは非常に神経質な生き物です。観察ルールはしっかり守りましょう。
里を楽しむ
屋久島町には26の集落がありますが、かつては集落間の交通も大変不便であったため、集落ごとの文化、方言、生活様式も微妙に異なっています。
吉田、宮之浦、春牧、平内、中間の5集落では公式に里めぐりを実施しているので地元語り部さんとの散策で里の魅力を楽しんでみてはいかがでしょう。
更には、屋久島町には口永良部島があります。ここは火山の島で屋久島とは異なる生態系があったり、良質の温泉があったり、また火山島ならではの景観があります。口永良部島へはフェリー太陽で渡ることができます。屋久島から足を伸ばして口永良部島の魅力にも触れてみてはいかがでしょう。
交通
島外からのアクセス
悪天候で欠航・遅延する場合があります。余裕をもった旅行プランを立てましょう
空路
大阪伊丹空港、福岡空港、鹿児島空港から直行便が就航しています。
飛行機を乗継ぐなら便数の多い鹿児島経由が便利です。所定の乗継時間に気を付けて予約しましょう。
屋久島への空路は小型プロペラ機での旅。晴れていれば桜島や開聞岳、竹島、薩摩硫黄島を眼下に臨みながらの飛行が楽しめます。
時間に余裕があるなら鹿児島から船を利用するほうが経済的です。鹿児島空港から鹿児島港まではリムジンバスで50分。鹿児島市内や鹿児島港を観光するなどバラエティに富んだ旅も楽しめます。
海路
鹿児島本港南埠頭から高速船「トッピー」(トッピーは飛魚の愛称)と「ロケット」が、屋久島の安房港か宮之浦港に向けて出航しています。時速約80kmの速さで1時間45分~2時間40分(種子島経由の場合)で屋久島に到着します。
折田汽船のフェリー「屋久島2」は本港南埠頭を朝8時30分に出航し、宮之浦港には12時30分に到着します。軽食コーナーや売店も完備されています。1日1往復しているこのフェリーは13時30分に折り返し鹿児島に向けて出航します。
フェリー「はいびすかす」は鹿児島港七ツ島、谷山港を夕方6時に出航しています。鹿児島〜種子島〜屋久島を1日1往復しているこの船は旅客・車両航送はもちろんのこと、種子島・屋久島の住民のための生活物資を運ぶ船としても利用されています。種子島の西之表港で船中泊し、宮之浦港には翌朝7時の到着となります。船内に売店はないので食事の準備をして乗船しましょう。
島内での交通手段
行動プランに合わせて検討しましょう。
レンタカー
レンタカー会社は、空港周辺や宮之浦・安房の港周辺にあります。事前に電話で予約を入れ、車の受け取り方を決めると良いでしょう。宿で手配をしてくれる場合もありますので、宿泊予約時に確認すると良いでしょう。
バス
バスは運行の本数が限られていますので、乗り遅れると後の予定に支障が出たり、乗り継ぎが悪く宿まで戻れなくなったりします。予定している行動にかかる所要時間、バス停の位置、バス路線や乗り換えの時間などについて確認しておくことが必要です。バスでの移動が多い方は屋久島交通の路線バスフリー乗車券サービスなどもあります。
タクシー
流しのタクシーはほとんどありません。タクシー乗り場は空港、港またはタクシー営業所のみになります。事前に予約を入れて行動しましょう。屋久島を知り尽くした熟練の運転ドライバーに屋久島を案内してもらえる観光タクシーもあります。
レンタルバイク
どこにでも止められてちょっとした移動にも便利。でも、屋久島では移動そのものにも魅力があります。新しい発見や感動を肌で感じられるバイクもおすすめです。
レンタサイクル
風を感じながら健康的に島を楽しみたい方にぴったりなレンタサイクル。 島内一円に協力店を持つレンタル店もあり気軽に借りられ楽しめます。
縄文杉登山の方
3月から11月末までのシーズン中、荒川三又路~荒川登山口の約4kmの間は乗入規制が行われており一般車両は通行できません。乗用車の方は、屋久杉自然館前の駐車場に車を置いて荒川登山バスに乗換えることになります。混乱を避けるため、バスの乗車券は事前購入制になっているのでご注意ください。乗車券は空港・宮之浦・安房の観光案内所で購入できます。貸切バス・タクシーで向かう場合も荒川線利用チケットが必要になります。
周遊観光バス
島を巡りたいという方は、まつばんだ交通の周遊観光バス(期間限定)などもご利用できます。
口永良部島には
屋久島町が運営している「フェリー太陽」は、屋久島宮之浦港から口永良部島の本村港、種子島の島間港を一往復ずつ、偶数日・奇数日と運行スケジュールを変えて運行しています。
地理・気候
地理
屋久島
九州最南端・佐多岬の南方約60kmに浮かぶ、面積約504km²、周囲132kmの大部分が花崗岩が隆起してできた島です。ほぼ円形の島の中央部は「奥岳」と呼ばれる領域で、九州最高峰の宮之浦岳 (1,936m) のほか、1,800mを超す永田岳、栗生岳、黒味岳などが聳え立ち、その周りを 1,000m級の「前岳」と呼ばれる山々が囲むように連座しています。奥岳の宮之浦岳はまた、永田岳、栗生岳と共に「屋久島三岳」と呼ばれ、日本百名山のひとつです。屋久島は人の住むわずかな沿岸部の平地以外は急峻な地形となっており「洋上のアルプス」とも呼ばれています。
口永良部島
口永良部島(くちのえらぶじま)は、屋久島の永田岬から北西海上約12kmに位置する長径(西北西~東南東)12km、最大幅5kmのひょうたんの形をした薩南最大の活火山島です。南東部の中央には昭和41年に大爆発を起こした新岳があります。島全域が屋久島国立公園となっています。
気候
屋久島
屋久島の気候・気象は黒潮に大きな影響を受けています。黒潮の暖かい海水が北上し、屋久島にぶつかるため、平地部での年間平均気温は約20℃と温暖な気候となっています。山岳島である屋久島は、里地は亜熱帯、山頂は冷寒帯などと、ちょうど日本列島を縦にした気候帯が垂直に存在します。
また、「ひと月に35日雨が降る」と林芙美子の小説「浮雲」で表現されたように雨の多い島です。しかし、季節や地域によって雨の降り方は違い、同じ日でも島の南部では土砂降りなのに北部では晴天だったりと、場所によって天気が違うのも屋久島の特徴です。
口永良部島
年間を通じて温暖な亜熱帯性気候です。霜が降りることはありません。
集落・生活
集落
現在、屋久島町には屋久島の周遊道路沿いに24集落、口永良部に2集落の合計26集落があります。集落毎に区長がおり、区長を中心に、青年団、婦人会、老人会など生活に密着した組織が活動しています。
昔は隣の集落へ船に乗らないと行けない場所もあり、集落が生活の基本的な単位でした。そのため、現在でも集落独自の文化が残っており、祭りや行事は集落毎に行われています。
1月に行われる「祝い申そう」「鬼火焚き」などは集落によって歌や踊りが違います。7月~8月には、屋久島は夏祭り一色に包まれます。各集落、それぞれの特色がみられる祭りの代表的なものには、島南部、平内集落の海中温泉祭り、一湊の豊漁まつり、安房の夏祭り、宮之浦のご神山まつり、ドラゴンボートレース等があります。9月~10月は秋の運動会の季節です。毎週のようにどこかの集落で運動会が開かれます。集落対抗の町民体育祭になると、皆、真剣そのもので大いに盛り上がります。
生活・くらし
昔、島民の暮らしは「海に10日、山に10日、野に10日」と詠われ、山を守り、作物を作り、イソモン(トコブシのこと)や魚捕りをして、集落の中で協力し合って暮らしていました。
現在はインフラも整備され、スーパーに総合病院、カフェや飲食店もあります。高齢者サービス、子育て支援などの公共サービスも充実しています。携帯電話やインターネットも使えるようになり非常に便利になりました。しかし、雷によって停電になったり、海が荒れフェリーが止まって物資が届かないということもよくあります。
この島の暮らしは、豊かな自然を身近に感じながら生きる暮らしです。季節の花が咲き乱れ、旬な食べ物がすぐ手に入るなどという喜びがある反面、自然が豊かなために避けられない苦労というものもあります。しかし、昔からお互いが助け合う共存共栄の風土があり、人々は自然に親戚のようにお互いを思いやる関係を築きながら暮らしています。
産業
農業
温暖な気候を活かしたポンカン、タンカン、パッションフルーツなどの果樹栽培が盛んです。ポンカンやタンカンの収穫期の11月~3月は家族総出で集荷や発送を行います。その他、お茶、胃腸薬の原料になるウコンやガジュツなどの商品作物も栽培されており主要な産業になっています。また、口永良部島では放牧を中心とした黒毛和牛などの肉用子牛の飼育が盛んです。
漁業
一湊のサバ漁と安房のトビウオ漁を中心とした漁業が盛んです。トビウオの水揚げ量は屋久島漁協単一で全国1位を誇っています。サバは「首折れサバ」(鮮度を保つため釣ってすぐに首を折り血抜きするためこう呼ばれます)が有名で、刺身で食べられるほか「サバ節」という燻製に加工されます。サバ節は一湊や吉田地区で生産され、トビウオのすり身を使った「つきあげ(さつま揚げ)」とともに屋久島を代表する特産品となっています。
観光産業
自然環境を損なうことなく豊かな自然を紹介するエコツアーなどの観光サービス業、その他、屋久杉を使用して作られる木工品、島の名水を原料に醸造される芋焼酎などのお土産物産品があります。
工業・その他
屋久島は豊富な水資源を利用しほぼすべての電力を水力発電でまかなっている島です。屋久島の地場産業である「屋久島電工」は、島内に設置された合計3ヶ所の水力発電所のみで島で必要とされる電力のほぼ100%を供給しています。また、発電事業のみならず、研磨剤や耐火物、ファインセラミックス、エンジニアリングセラミックスや半導体の材料となる炭化ケイ素を国内で唯一生産している企業でもあります。
歴史・文化
歴史
日本史に登場する
九州の南島が日本史の表舞台に登場するのは7世紀から8世紀頃。白村江(はくすきのえ)で唐の新羅(しらぎ)の連合軍と戦って惨敗した大和朝廷は、遣唐使を派遣する経路を朝鮮半島沿いに北上する陸路から東シナ海を直接揚子江の河口を目指す南路に切り替えた。九州南島経営の必要にせまられた朝廷は調査団を南九州に送り国を設置する準備を始めた。
702年 多褹国(たねこく)が誕生。救益島(やくしま)、口永良部島も含む種子島が朝廷の支配下になる。
753年、唐の高僧、鑑真和上が益救島に季節風を避け寄港する。前後して吉備眞備の船も益救島に寄港する。
927年に完成した「延喜式神明帳」(全国の神社の一覧)には益救神社の記載がある。益救神社は、現在、宮之浦にある南島守護・山岳信仰に起源を有する古社。式内社として南島でただ一社登録された。
鎌倉時代~安土・桃山時代
幕府も島津家も日明貿易に積極的に乗り出し、屋久島は堺から四国沖を通って東シナ海から寧波(中国、浙江省)に達する重要な中継地となった。勘合貿易線上に法華宗徒との交流も生まれた。この頃、屋久島では地震が頻発し八重岳が鳴動して止まなかった。1488年、京都の本能寺の日増上人が渡島し宮之浦岳の山頂の岩窟にこもって鎮護祈願をして鳴動を鎮めた(宮之浦岳に今も残る「一品宝珠大権現(いっぽんほうじゅだいごんげん)」を祀る祠(ほこら)がこのことを物語る。「一品宝珠大権現」は、島の守護神・彦火火出見尊(ひこほほでのみこと)の仏名で、祠(ほこら)の石碑は山岳信仰の霊地を示し、これが今も島に残る「岳参り」のはじまりと言われている)。
1524年 種子島氏は屋久島の永田、吉田、楠川に築城。倭寇の警戒や船舶の見張りが目的だった。
1543年 種子島に鉄砲伝来。日本で鉄砲が最初に使用されたのは、種子島氏と大隅の禰寝氏(ねじめし)の戦いだったと郷土史家は伝えている。
1586年 豊臣秀吉は京都方広寺大仏殿を建てることとなり島津藩に用材調達を命じる。
1599年 太閤地検により、屋久島・口永良部が島津家の領有となる。以後、明治維新まで島津家の蔵入地として管理される。屋久島は屋久杉の稀に見る宝庫、そこには莫大な経済価値に執着した策謀があった。
江戸時代~現代
島津光久の侍読だった屋久島出身の泊如竹(とまりじょちく)は、島民の貧困を目にし屋久杉の利用を藩庁に献策した。これにより、島民の平木貢納が始まる。屋久島奉行所では、年貢平木の他に島民から平木と幕府献上用の鰹節を確保し、そのかわりとして島民に米や生活用品を運んでいた。
1708年 イタリア人宣教師シドッチ神父の密入国事件が起こる。宮之浦奉行所に監禁された後、長崎経由で江戸に護送され、新井白石に会見する。新井白石はシドッチとの話しから「西洋紀聞」や「采覧異言」を著した。これらの書物が幕末の開国論者の和魂洋才の思想の土台となったということは良く知られている。
1812年 伊能忠敬が来島し測量する。楠川に残る古文書によると実測期間18日、駆り出された人夫は千七百三十七人という大がかりなものだった。
1882年(明治15年)地租改正で島の面積の80%を国有に編入され、島民は薪、炭にもこと欠き不満は高まる。
1904年 国有林下戻請求行政訴訟が始まる。この行政裁判は1921年敗訴となったが島民に配慮した「国有林経営大綱(屋久島憲法)が策定された。
1914年 植物学者E.H.ウィルソン博士が屋久島に調査に入る。屋久島の豊かな自然を世界に紹介した。
1966年 樹齢2600年~7200年と言われる縄文杉が発見される。
1970年 海外材への依存も進み、自然保護の声も高まる中、営林署の小杉谷事業所が閉鎖され、屋久杉伐採が終了する。
1993年 世界自然遺産に登録される。
参考文献「屋久島の歴史」山本秀雄
文化
山岳信仰
高山は神の棲む地域として崇拝する屋久島の山岳信仰は、17世紀、泊如竹が現れるまで、そこに生えている樹も精霊の宿る神木として畏敬し一切屋久杉を伐らなかったほど強いものでした。如竹は、この難問解決に神の許しを以てする奇策を案出し、やっと島民を説得したのでした。今も多くの集落に残る「岳参り」の行事をみても山岳信仰が島民のくらしの中に深く入り込んでいたのが分かります。
岳参り
「岳参り」は、かつては日本中で見られたそうですが、屋久島では集落ごとに行われていました。まず、集落の代表者が海水や川の水で禊(みそぎ)をし、海の幸、里の幸を、お供え用に携えて、集落から見える前岳に登り、その後、奥岳に登って御岳の神様一品宝珠大権現(いっぽんほうじゅだいごんげん)に参拝し、集落から預かってきた願解きをし、新たに願かけをします。今では山の植物は採取できないきまりになっていますが、シャクナゲやビャクダン、コーノキ、榊などを山の土産として持ち帰っていました。登山道の入り口は「山口」、または「詣所(もいしょ)」とも言われ、岳参りに参加できない人たちが御岳を遥拝するところであり、また、坂迎え(※)をするところでした。岳参りは、現在、簡略化されて奥岳まで登らない集落もありますが、今なお、多くの集落で行われています。
※ 代表で岳参りをしてきた人を出迎えて食事を共にすること。酒迎えとも書かれるのはこのため。「サカ」はまた、「境界」という意味もあり、境界外で強い霊威に接したものに対する儀礼をするという意味もある。