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世界自然遺産登録20周年記念「現旧町長鼎談」(1/4) | 屋久島マルシェ

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世界自然遺産登録20周年記念「現旧町長鼎談」(1/4)

屋久島の世界自然遺産登録20年周年を記念して、荒木耕治 屋久島町町長〈写真中央〉と、世界遺産登録当時、屋久島町がまだ2つの町に分かれていた頃の町長であった矢野勝已 旧上屋久町町長〈写真右〉、日高十七郎(となお)旧屋久町町長(初代屋久島町町長)〈写真左〉にお集りいただき、屋久島の過去〜未来を語っていただきました。約2時間にわたって行われた鼎談の様子を、4回に分けて掲載していきます。第1回目は、のちの屋久島の舵取りをすることになる3人の少年時代のワイルドな原体験や思い描いていた夢、そして50年以上前の屋久島の様子などをお話ししていただいています。

 

「今の子供はやらないでしょ、鳥を釣るなんて」

屋久島マルシェ(以下Y M)本日はわざわざお集りいただき、ありがとうございます。早速ですが、3人は昔から顔見知りだったのですか?

矢野 僕は荒木町長のお父さんと親しかったですね。だから荒木町長がわんぱくの頃から知っています。

日高 僕もお2人のことは昔からよく知っています。

荒木 私は矢野さんと一回り、(日高)十七郎さんとは10歳違います。もちろん、お2人の方が年上ですね(笑)。

Y M 小さい頃はどんな遊びをされてたんですか?

矢野 とにかく遊び道具は山だけでした。それも里山ね。奥には行きません。里山で木に登ったり山桃や椎の実を採ったり。今みたいに立派な遊具があるわけではないから、自然を相手に思いっきり遊んでました。わんぱくな時代です。

荒木 奥山には入っちゃいかんって言われてたからね。里で遊べって。

日高 そうそう。よく”チッカ”(シロハラという渡り鳥)獲りに行きよったなあ。餌にさわったらパツンとはじける罠かけて。

荒木 今、十七郎さんが言ったのは、釣り針にミミズを付けて釣るやつでしょ。

矢野 屋久島の人は魚だけじゃなくて鳥も釣るんです。

日高 今の子供はやらないでしょ、鳥を釣るなんて。

矢野 やらんだろうなあ。でもこれは代々教えられてきた遊びですよ。

荒木 ​2人は山城を作った経験はなかと? 俺たちは秘密基地作って、家に帰らないでそこに泊まったりしてたよ。川でも遊びよったし。

日高 あははは! 3人に共通しているのは、生まれ育ったところが大きな川の近くということです。山・川・海の3点セット。

矢野 そういう意味でいうと贅沢な環境ですよね。でも食料には困ってましたよ。だからチッカを獲ってきて食べていたんです。

日高 羽をむしって、家に持って帰って焼き鳥にして食べてたなあ。

荒木 私はお2人とは10歳以上違うから、もうちょっとかっこ良かった! もうちょっと進んだ遊びでしたよ。 授業中に”とりもち”を作って”けたん木”(ハマヒサカキという常緑低木)にかけておく。するとメジロが5~6羽かかる。それを休み時間にとってくるんです。私は勉強が好きやったから(笑)、そんなことして遊んでたなあ。

「僕は船乗りになりたかった」

Y M 少年時代は自然とともにあったわけですね! 小さい頃の夢とかありましたか?

矢野 僕は船乗りになりたかった。船を動かす機械の運転手にあこがれてね。だいたい若い青年なんだけど、その人がいないと船が動かんの。当然、獲ったトビウオの分け前も多いわけです。

日高 意外やなぁ。真面目な人やからそげな夢だとは思わなかったなあ。

荒木 今みたいにスイッチを入れたらぱっとエンジンがかかる時代じゃないんだものな。私も小さい頃、海がしけて波があると、川の入り口でトビウオ5000匹ぐらい積んだ船がひっくり返るのよ。それを見たくて荒れた日に限って海に行きよったよ。

矢野 ひっくり返った船からトビウオが全部流れ出す。波が打ち寄せてくるから、全部海岸に寄って来るんです。それを拾う。船の乗り子は「拾ったのを持ってこい!」というけど、持ってく人はいない。皆家に持って帰るんです(笑)。

日高 よか時代じゃったな。

矢野 それでも事故は1つもなくてね。今は子供たちだけでは泳げませんが、あの頃は誰でも泳いでいました。親も見ていないわけです。泳げない子も泳ぐわけですが、トビウオを獲りに行く人たちが昼間はいつも船の準備をしたり掃除したりして、船の上には必ず人がいた。だからその人たちが見てくれるんです。溺れたらすぐに助けてくれる。そのころは地域全体で子供を育ててました。

荒木 クジラが打ち上げられたりしたのもその時代でしょ。ところで十七郎さんは夢はあったんですか?

日高 僕は小学校中学年ぐらいから盛んに島を出てみたいと考えてたな。この先生と親しくしたら、転勤の時に連れて行ってくれるのかと思ってた(笑)。家の近くに「朱れんかん」というおじさんがおってね。中国から台湾経由で屋久島に来て、きくらげとかキノコなんかを買って歩く仕事だった。

矢野 なにかにつけていろいろ言われた人でしたよね。そういうのを見てその方を祖国に帰してあげたいというのはあったんじゃないですか?

日高 ええ。海外に行きたいという夢と合わせて、「朱れんかん」を中国へ連れて帰してあげたいと思っていました。結局、ここで亡くなって消防団の方々に海辺で火葬してもらったんです。

荒木 実は私も早く島を出たいと思った時期がありました。「頼むから高校から島を出してくれ」と両親に言ったんです。だけど、夢や希望があって島を出たいというわけではないので、説得できなかった。

矢野 でも当時は島の外に出る人なんてほとんどいなかったですよね。特に私や十七郎さんの時代は、皆食べていくのに必死でしたからね。親が子供を食べさせるために一生懸命トビウオを獲りに行って少しづつお金をもらったり、こんな小さな畑で百姓したり、山と関わったりしながら子供を育てていくわけです。子供たちもそんな大きな夢というのは持てないんじゃないですかね。

「あぁ、ここはやっぱり神々の島なんだ」

Y M 子供も大人も生きて行くことに必死だったんですね。例えば集落の中での子供の役割ってあったんですか?

日高 僕らが小さい頃って集落への行事には子供は必ず参加してました。矢野さんたちもそうだったと思うけど、例えば神社の大祭があるっていうと、短縮授業で2時間くらいで授業を切り上げたり、芝居をやる前の日には境内に舞台を造るため、ゴザを持って行ったりしていました。そうやって”島の伝統行事を尊ぶ”。行事に参加することによって、そういう精神が親から子へ代々と伝えられてきたという点は今とは違います。いつの時代か、どこかで伝統が途絶えてしまったのかもしれませんね。

矢野 昔の子供たち、つまり今の老人は続いていた文化を守ってきたんです。最近は子供たちがそういった伝統行事に参加しないんですね。学校も教育も行事によっては危険だから行くなとか、参加しちゃいかんとか。そういうのがあって子供たちが行かなくなった。親もやっぱり連れて行かなくなったんです。

日高 たとえば岳参りはそうじゃないですか? 「岳参りを復活させなきゃいけない」という表現で、集落で岳参りが途絶えているというように思われた時期があったんですが、決してそうではない。岳参りを脈々と受け継いできた集落という方が大半です。それに子供たちがどれだけ参加しているかということは大切な問題ですけど。

※岳参り… 屋久島の山岳信仰に基づいた伝統行事のひとつ。屋久島では集落ごとに御神山があり、里や海のめぐみを山の神へ届ける為、参拝登山を行う。参拝者たちは塩や海藻、焼酎などを持参し、豊漁豊作、無病息災、里の安全を祈る。そしてシャクナゲ等の枝を持ち帰り、山のご利益を里にもたらす。

Y M 岳参りも屋久島を語る上でとても大切な集落の行事ですよね。

荒木 実は私は岳参りに行ったことがなかったんです。しかし、「屋久島町の安寧(あんねい)と平和、発展、それと世界遺産登録20周年という大きなイベントを成功させたいそんな願いも込めて、最近は個人的に岳参りをしています。それにしてもきれいやった。この前は永田岳に行ったけど、永田歩道~花山原生林、山小屋にも泊まってシャクナゲを見てきました。

日高 それは素晴らしいことです。

荒木 実は私、盆栽の趣味がありましてね。

日高・矢野 そりゃ意外だな!!

荒木 意外でしょ? シャクナゲはみんなきれいだけど、永田岳の北壁のシャクナゲは屋久島ではピカイチだと聞いたんです。葉が小さく丸くてその裏に毛が多い。へへへ、ちょっとやかましいですよ。

日高 盆栽とはね。 しかし良か経験されましたな。

荒木 はい。貴重な体験だった。私みたいなやんちゃに育った人間でも、あの世界に行くと自然と手を合わせていました。祠(ほこら)の前に息子と孫と3人座ってな。黙って祈りました。そうすると、「あぁ、ここはやっぱり神々の島なんだ」という気持ちが自然と出てくるんです。それがこの島の原点ですね。

矢野 そうです。それが屋久島の世界ですね。

日高 (深くうなずく)

矢野 しかし町長、もうちょっと早く行くべきやったな(笑)

昔から顔見知りということもあり、鼎談は和気あいあいとした雰囲気で進んでいきました。3人ともご自身の小さい頃のお話をされる時は少年の顔になり、古き良き時代の屋久島に思いを馳せておられました。この後、話題は屋久島の自然を現代まで守ってきた「山岳信仰」、今だから聞ける「初選挙の話」、世界遺産登へとつながった「屋久島環境文化村構想」と続き、少しずつ屋久島の羅針盤が指し示す方向が見え始めてきます。

取材協力:屋久杉自然館

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